蜃気楼

 


この時期になるといつも 夏の日差しと心を焦がしたあの人との日々に、夕暮れの蝙蝠が巣から飛び立って行くのを眺めながら切なさを噛んでいた時のことを思い出す。

 

 

 

 

 

 

私が彼と出会ったのは今はもう「終わったコンテンツ」になった、個人IDを交換するような交流掲示板だった。誰でもいいから相手にされたいメンヘラ女と、誰でもいいから性欲をぶつけたい男が溢れる中、画面の向こう側の人間性をあまり感じさせない無機質さに惹かれて交流を始めたのを覚えている。

 

ふと何か感じた時、考えた時にぽつりとメッセージを送って思い出した頃に開くと返事がきているというそんな電子文通のようなことを気付くと1年も過ごしていた。その頃になると何かの切欠で声で会話するようにもなっていたけれど、肉声を聴いてもあまりに人間味を感じられなかったので私は彼をNPCのような人だと思っていた。ただ、彼の声は今までに私が聴いた男性の声の中で最も性的で素敵な声だったなと、別れた今でも思っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その頃の私は、寂しさと憂鬱と現実逃避をないまぜにした日々を鬱々と送りながら英会話教室のコールセンターでアルバイトして暮らしていた。何もかもが私を傷つけると思っていたし、傷ついていた。そんな中で極偶に交わす彼との詩のような言葉たちを食べている時だけは、水を得た魚のように息がしやすかった。

 


彼と知り合って2年が経とうとしていた頃、私は彼のことをいつしか男性として好きかもしれないと気付き始めていた。付き合うことができなくても、一度でいいから彼と寝てみたいと思っていた。

私たちはもうだいぶ気心の知れた友人になっていて、お酒を飲みながら彼と話している最中に日々私がそう思っていることを伝えたらどうなるのかと思いながら、つい、彼に、私はあなたの事が好きなのだけれど恋人にはなれなくても良いので一度寝てみたいのですと口を滑らせてしまった。


彼は今まで私と会話した中で一番人間らしい声で驚くのでそれがおかしくておかしくて。そのあとはどんな話をして終わったのか、今はもう忘れてしまったけれど。

彼はいいですよ、とも

それはちょっと、とも言わず

私たちは普段通りの日常に戻り、たまに会話する日々を過ごした。

 

それからしばらくして、今でも私のパスワードの中で生き続けている彼の誕生日が過ぎた頃、彼と会う約束をした。彼の家に向かう電車の中で、生理的に無理な顔だったらどうしようななんてぼんやり思ったりしたのを、今でも覚えている。

 

駅に着いて、人混みの中ホームの階段を降りる途中で彼が私を見つけて、少し頭を下げた時

ああきっとこれが一目惚れか、なんて妙に冷静に彼を好きになったことを自覚していた。

彼がつけていた香水の香りがあまりにセクシーで胸が苦しいくらいに恥ずかしかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼と過ごした時間よりも彼と別れてから過ごした時間のほうが長くなって、彼への恋や愛と名のつく感情はどこを探しても見つからないほど思い出になってしまったというのに、今でもあの香水の匂いと彼が好んで炊いていたお香の匂いをふと感じると、胸のざわめきと喉の詰まりで息ができなくなる。

 

 

 

 


別れるということは

お互いの今後の人生に干渉する全ての権利を失うということです、と何かで読んだことがある。

 

残ったのは思い出だけ。

あなたの好きなニーチェの古書

相対性理論のシンデレラ

色褪せたユニクロのシャツ、

青い鳥の絵の煙草

後悔も未練も、何もない。

でも目を閉じたら、薄れかけた思い出が砂の城のように崩れていくのがわかる。あなたが幸せかどうかを確認する権利すら私にはもうない。

私が今あなたと別れてよかったと思えるほど素敵な人と結婚したことも、あなたは知らない。

でも、私はずるいから、あなたがふとした時に私を思い出していればいいなと思う。

 

そんな季節です。

 

 

 

 

 

 

海が見たい。

 

 

 

海が見たい。

 


光回線すら通っていない田舎の島に夫と旅行に行った日のことを 今でも思い出す。数キロにもわたって一面の砂浜が広がる夏の午後は、何もかも忘れてしまうにはおあつらえむき過ぎたのだ。じりじりと暑い日差しを避けて、ただひたすらに寄せては返す波に吸い込まれて行く白い泡や滑らかに走っていく砂の運動を見つめていた。髪は潮風でベタベタしていたけれどそんなのもどうだってよかった、よかったのだ。廃れた島の細々とした観光事業につられたわけではなくて、私はただ、海が見たかった。

 

 

 


私が大人になるたったこの数十年で、世界の進歩はめざましいものだったと思う。便利になることは悪いことじゃない、ただ私はありとあらゆることが、手を伸ばせば簡単に手に入ってしまうこんな便利さを知りたくなかったなんて思っていた。

SNSなんて汚らしい人間の欲望がぎゅっと詰まっていてさ。何のためにそんなことするんだよ、誰のためなんだよ。だから何なんだよ。私たちが必死になって追いかけている文字や写真は、大抵知らなくていいことばかりだ。

 


私がインターネットに繋ぐのも苦労するような島に宿泊したのはただの偶然だったけれど、SNSに載せる予定のない写真を撮って、コンビニさえない島の人々の暮らしの中に溶けている間、私はここが世界のすべてのような気がしていた。欲しいものはもうなにひとつだってない、この砂浜に座っている限り永遠にそう思える気がした。

今でもふと、ぼんやりとあの海岸沿いで海を眺めている私の姿を頭の中に思い浮かべることがある。もし私に永遠の命があったなら、きっとここで長い長い時間海を眺めて暮らすのにな。


いつか母が、歳を取れば取るほど死にたくなくなるのよ。と言っていたけれど、それを聞かされている十代の私は日々いつどのように死ねるかと考えていたから何ひとつ理解なんてできなかった。今はその気持ちがわかる。夫と離れたくないから、ずっとずっと生きていたい。でもきっと インターネットのない島の永遠の暮らしは退屈だろうし、永遠の命でもない私は夫とこれからも歳をとっていく。

 

 

 

SNSは今日も、育乳 ガードル マッサージ ストレッチで自己を高めろメスとしてのあれやそれやこれをやるべきで、骨スト ブルベのコーデアイシャドウは何色だなんて気にして誰よりもかゎいくなりたぃ…って叫んでる。ある程度諦めてニコッと笑えるババアになるのも大事だぞ、整形もガードルも年齢を止めてはくれないんだから。

 

 

 

私は今日も光る文字を眺めながらつぶやく

あー 海が見たい。

パレット

 


Bluetoothのイヤホンを耳に差し入れて、許されないほど大きな音で世界を塗りつぶす。私がまだ子供だった頃はびろびろ鬱陶しい線の繋がったイヤホンしか音と私を繋いでくれなかったのにな。どれだけ世界が発展しても、大人になっても、私はまだ悲しい時に子供のように泣いたりしている。

 

 

心の隙間が苦しい時は誰かに縋りたくなる。でもその隙間は誰にも埋めて貰えないなんてこと、とっくの昔に知った。期待するだけ無駄なのだ。どうして悲しいのか、どうして痛いのか説明するのもつらいのだから黙っていた方がましだ、振動で目が回るくらいの音で好きな音楽でも聴いていた方がずっとマシだ。

 

好きな色をした縁が切れた日の夜、特別に好きな音楽を見つけて子供みたいにわんわんと泣いていた私は馬鹿になりそうな音量で夢中になってリピートした。覚えておきたいことなんてほんの少ししかない、好きなものは全部独り占めしていたい。好きなものも、好きな理由も、教えてなんてやるもんか。下衆野郎ども!音に押し潰されている間は、私はこの世界に1人きりなのだ。だから寂しくなんてないのだ。

 

黙っていても脳は信号をチカチカと点滅させてうるさい、塗りつぶしてくれ、頼むから。

 

 

チョコレートも、甘い炭酸水も、アイスクリームも、私を癒してくれないときは一体どうしたらいいんだろうな、わからないけど。ただそういうときはいつだって何もかも忘れたいと願っているし、何も聞きたくないと思ってる。腫れぼったい目の奥にある闇の中で、音楽に溶けて消えてしまいたいと思う、馬鹿らしいけれど。

触らないで、知らないで、私を理解したような言い方でカテゴライズしないで。

 

あとからあとから落ちていく雫がぽつんと肌の上で温かくて、そんなことでこのまま溶けてしまえるわけではないのだなと現実が悲しくて、また泣けた。

 

 

日常のinferno

SNSの自撮りは大抵美男美女しかいなくて、鏡を見ると毎回悲しそうなブスがこっちを見ていて私まで悲しくなる。何でもかんでも加工でしょ!なーんて言わないと悔しくてやってらんないんでしょ?ばーか

何のための自己顕示欲なの

幸せじゃないから他人と比べて他人から羨ましがられて私は幸せなんだって思いたいだけでしょう?本当に幸せな女はSNSなんてやってないよ。幸せなふりをしたい女しかいないんだよ。

 

 


120点の男と結婚して100点の結婚生活でも、それでもどこか切なくて息苦しい。どうしたら幸せになれるんだよ、教えてくれよ!インターネットは私を救ってくれるんじゃないのかよ。

 

イケてる顔のバンドマンも結局は首の太い5頭身のチビロン毛野郎だった。嘘でもいいから謎めいたイケメンでいてくれよ。世の中の全員が会いに行けるアイドルを求めてると思うな。この世界に王子様なんていないからせめてこうだったらいいなと妄想させてくれ、実際はヒモDVパチクズバンドマンでもいいんだよ、首太チビロン毛でもいいんだよ、奇跡の一枚だけアップしてあとダンマリ決めこんどけ。結局口を開いたら自己顕示欲の押し付け合いの人間性しか見えないんだから喋らないで永遠に歌っていてくれ。お前の歌は好きだから。

 


嫌いにさせないで。

好きになれそうな人にも、好きな人にも、会話を重ねるたびに嫌いになることがよくある。100%好きになれる人なんていないのはわかってるのに、あっもうだめだと思うたびにLINEをブロックして、コミュニティを抜けて胸を痛めている。いつだって嫌いになってやろうと思って嫌いになってるわけじゃないんだよ。

 

 

愛想よく相槌打って聞き上手に過ごしてると女の話はつまんないってご高説垂れるクソ野郎がいてさ、そういう男の話も大概つまんないわけよ。

女の私が女の話はつまんねえって聞かされて楽しいと思ってんのか?チンコにばっかり血回してんじゃないよ、その矮小な脳しか入ってない頭も使いなさいよ。

女の話はつまんねえと思ってる男とこの男の話つまんねえなと思ってる女が会話してても何も生まれないんだからもうチンコ大好きなお前ら男同士でセックスしてたらいいじゃない、ねえ?

 

 

 

どうせどこにいても地獄なわけで、

触れても地獄、触れられなくても地獄

愛しても地獄、愛されなくても地獄なわけで

見てしまうと欲しくなるってことは見なければ欲しくならないからやっぱSNSはやらない方が幸せになれると思います。

そうです、やっぱり。

 

 

 

大乱闘スマッシュブラザーズ

女の人生が男よりもイージーモードであるという説には、大いに同意する。現に私はボーナスステージで生きているし庇護される対象としての愛情を当然のように享受している。

女は楽しい。

私は少なくともそう思っているし、けれど、異論はもちろん認める。

 

 

 

『男は舐められたら終わりやで!』

20年以上の付き合いだという、私の男とその友達が2人でそう言って、笑った。

女の私からすると、舐められるとは?という疑問から考えなくてはならない。けれど、彼らはそれが考える必要のない笑えるくらいの当たり前の言葉として受け入れられるのだ。

男って、馬鹿だ。

でもその馬鹿さと、馬鹿な思い出としての話ができる友人が今でもいることは何にも変え難い幸運に見えた。

宿題をやらなかったからといって、学校をサボり倒したからといって死ぬわけじゃない。殴り合いの喧嘩して怪我したって気に入らない奴の自転車を池に沈めたって大人になれる。私はそれをもっと、もっと早く、知りたかった。

 

真面目にノートをとってたって結局私は何にもなれなかった。学校も塾も部活もバレたらどうしようなんてビビりながらサボった日に限って結局バレて母にど叱られたけど、どうせバレるならもっと堂々としてればよかったんだよ。それに気づいた時は私はもう大人になりすぎてた。彼らは当時からそれを知っていて、且つ共有していたんだと思うと羨ましくてたまらない。

 

 

 


私はどうしたって男にはなれないし、社会人になってからスマブラをやりに友達の家に行くとか、エヴァンゲリオンを観に行って真夜中に帰ってくるなんてできない。

いや、正確には できるけど、楽しめない。

スマブラを楽しめないから女なのか

女だからスマブラを楽しめないのか

 


女は楽しい。少なくとも私はそう思う。

でも、男が、彼らが羨ましいのだ。

褪せた

数年前に付き合っていた恋人のことを、だんだん思い出さなくなっている。記憶の蓋をあけたらすぐ取り出せるところにあると思っていたのに、今はもうわざわざ探さないと見つけられない。いつか何もかも忘れてしまうんだろうか?国分町のストリップ劇場が閉店していたと聞いて、ふと、思い出したことを書き留めておきたい。

 

 

 

 仙台の繁華街に食事に行った夜、細い路地のストリップ小屋に入りたそうにしているわたし。セクキャバはセクハラキャバクラの略だと思っていたと言うわたしを笑って、しゃっくりをした貴方。古めかしいポスターは色褪せていて知らない世界の入り口が胸を叩いていた。

きっと行けないだろうけど

行ってみたかった。

ロックじゃない外観がロックな名前の通りのそのお店は、わたしが彼と別れてほどなくして閉店していたらしい。

ああ、なくなってしまった

わたしのこの美しい思い出の中に佇む

あのお店はもうないのだ。

セクシーなお姉さまが艶かしく裸体を見せつけてくれるショーを、下卑た言葉を投げつける男たちに紛れて見てみたかった。

 

 

二人して酷く酔ったクリスマスの夜、イルミネーションに紛れてアルコールの呼気を交換したキスも、冷えた夜風に体を震わせて家に帰る途中、昔聞いた母の初恋の人の話をするわたしを、可愛らしい話をする貴女が可愛い、愛おしいと言った貴方のことも今ではもうひとつひとつなぞらないと思い出せない。

あなたの吸っていた煙草のにおいも忘れてしまった。

国分町の煙草屋で買ったフランスの煙草をあなたはいたく気に入っていて、どんな味がするの?というわたしの問いかけに「農民の味」と答えた。粗雑で粗悪な味ということらしかった。そんなくだらないことは、まだ、覚えている。
わたしはあなたのそういう言葉のセンスや感性が好きだった。
 
 
いつかきっと、今書き記したことも
わたしは忘れると思う。
あなたのどこを愛していたのか、今もう思い出せないように。